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かつしか探訪風土記(10月編)
江戸の人々も食した小松菜

【江戸の人々と小松菜の深い歴史】

 江戸時代、葛飾周辺(江戸東郊)は、青物野菜などの産地として有名でした。それは、沖積土壌という砂質の土壌であるために水はけが良く、野菜作りに適した環境であったことと、河川・水路の整備が行き届いていて船を使った運搬により、新鮮な野菜を大都市江戸に出荷できたことが理由であるとされています。

 中でも、今の時期から冬にかけて旬を迎える小松菜は、中川左岸の小松・小松川(現在の葛飾区南東部・江戸川区北西部)で特産物として栽培されていました。食料の乏しい冬に生産される小松菜は、食卓を彩るものとして江戸の人々には無くてはならない食材でした。江戸の雑煮に小松菜が添えられているのは、このような背景があります。

【元は葛西菜だった】

 実は、小松菜は江戸のはじめには「葛西菜(かさいな)」と呼ばれていました。葛西と聞くと、現在の江戸川区と思いがちですが、当時の葛西とは、葛飾・江戸川・墨田・江東区地域のことを指しました。東金町の葛西神社や青戸の葛西城跡は、この地域が葛西という領域だったことの名残です。

享保20年(1735)に記された『続 江戸砂子温故名跡志(ぞくえどすなごおんこめいせきし)』の江戸の名産の項には「葛西菜(中略)いたつてやハらかに、天然と甘みあり、他国になき嘉品なり(葛西菜は柔らかく、自然な甘さがあり、他国にない逸品である)」とあり、「葛西菜にまされるハなしといへり(葛西菜に勝るものはないといえる)」と、京都・東寺の水菜、大阪の天王寺菜、近江の日野菜など全国の菜と比較しても美味しいと賛美されていました。

 

【小松菜のその後】

 この葛西菜が小松菜に名前が変わるのは、一説によると小松川村の椀屋九兵衛が品種改良したものであるといわれていたり、徳川将軍綱吉が小松・小松川辺りで鷹狩の際に献上されたためであるともいわれていたりしています。

 小松菜は今でこそ通年栽培される野菜ですが、昔は正月に備えて今頃から種まきが行われていました。小松菜はビタミンA・Cやカルシウムなどが豊富で、炒め物や和え物、お浸しなどの具材として全国各地で栽培されいます。葛飾でも年間766トン(平成29年)生産されており、都内ではトップクラスです。近年では農地が減少してしまいましたが、江戸の人々が愛した小松菜の産地の面影は今でも葛飾に息づいています。

 葛飾区は、23区の中でも数少ない農業地帯として知られています。区内各地には、区内産の新鮮な野菜を販売する「葛飾元気野菜」の直売所があり、「葛飾元気野菜」を使った料理を食べられるお店などもご案内しています。

 散策の折に、畑を見つけたら小松菜をはじめとする「葛飾元気野菜」を思い出してください。直売所や「葛飾元気野菜」を扱うお店を訪ねながら散策するのも葛飾ならではの魅力です。

 

【葛飾元気野菜(元気野菜ホームページ)】

【元気野菜を楽しめるお店】